ARCHIPELAGO ARCHITECTS STUDIO

01-01

河童の家

01-02

河童の家

02-01

Uの家

02-02

Uの家

03-01

閉合の家

03-02

閉合の家

04-01

町家のかげおくり

04-02

町家のかげおくり

島々と潮位 アーキペラゴについて

かつて山だった場所の頂上部分が海面の変動によって島になる。際限なく広がる海は、島と島とを交通させる。潮位は絶え間なく変化しているから、島の境界線は静止しない。孤立した島々は、海によって隔てられると同時に繋げられ、群島=アーキペラゴをなす。そのように建築を創造してみることは可能だろうか。

かつて山だった場所の頂上部分が海面の変動によって島になる。周囲と隔絶することで、島は独自の生産力と社会性(事物の体系性=規範形成力)を獲得する。島はまた、卓越した交通・交流の場である海によってその境界が定められる。ゆえに島の隔絶性は、孤立(自律性)と接続(相互交通性)の同時性を意味する。

際限なく広がる海は、島と島とを交通させる。建築は重力や大気、地形、土壌、太陽の周期といったエコロジカルな条件のみならず、都市化=アーバニゼーションがもたらす経済合理性および交通性の過剰さによってこそ規定される。産業資本主義は、土地から生活と労働を分離させる流動性を前提に、資本の回転に内在しない資源に依拠した価値創造と蓄積を推進する。ゆえに資本制社会は、近代産業特有の素材(エネルギー・食料・労働力・情報・技術)を近代産業特有の方法(交通・情報インフラ)で効率よく運搬するため、世界をつくりかえる。

潮位は絶え間なく変化しているから、島の境界線は静止しない。いまや気候変動は統計的な情報ではなく、皮膚感覚が捉える危機となっている。アーバニゼーションの海もまた、われわれの生環境のあらゆる細部へと食い込んでいる。島の輪郭は流動的で、明確に定義された線には還元しえない。このとき建築設計は(必ずしも感覚的とは限らない)与件から荷重と外力に抵抗する構築物を導き出すこと、であると同時に、感覚与件から複数の認知像がもたらされうること(認知の偶有性とその交換可能性)を前提とした実験的な試みとなるだろう。たとえば、身体の各部分が、建築の各部分との具体的な「交渉」を遂行することで生じるちりぢりの感覚・関心・感情の群れを個別に前景化しながら、それらをできるだけ直接的に風景へと接触させる、という仕方によって。

孤立した島々は、海によって隔てられつつも繋げられ、群島=アーキペラゴをなす。均質で際限なく広がっていた海は、島々のあいだの交通・交流のありようによって新たな性格を獲得する。島々と海。孤立性と流動性、あるいは実験性と経済性。互いに互いを補い合う、両者の緊張関係を持続させること。プロジェクトが各々に抱えている固有の問題、その通約不可能性を引き受け、それでもなお、ばらばらなプロジェクト群のあいだのつながりを、事後的に、必然として捉えてみること。

そのように建築を創造してみることは可能だろうか。そもそも建築とは何か。生の共同と継続に尽くし、それを支え、励ますための閉域を立ち上げるための技術だ。建築家はそのために、はっきりとした根拠をもち、断言され、確立された物体として建築を創造しようとする。このとき、技術的・経済的・生物学的・社会学的・物理的・幾何学的・言語的・思弁的な葛藤のなかで選択・宣言・構築された形式(form)のみが、エコロジーとアーバニゼーションの外圧(両者はもはや識別不可能だ)に抵抗する島の隔絶性(自律性と環境との相互交通性の同時性)を建築にもたらす。現実の諸条件を受け止めながら、島と海のあいだの揺れ動く境界線=形式を発明・実装することが主題となる。

建築を通して身体と世界の両方を書き換え、のみならず、建築を成立させるためのあらゆる参加者を「共同者」にし、そこからまだ見ぬ建築を生み出していくための規範を彫琢していくための長い旅は、まずはここからはじまる。

寄稿: 大村高広 Office of Ohmura 主宰 / 茨城大学助教

株式会社アーキペラゴアーキテクツスタジオ

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